岩手県のリアス式で有名な三陸海岸のど真ん中「山田町」にある
山田町観光協会の公式ブログです。
ちなみに「かきくけこ」は「牡蠣食うけぇ来ぉ」からきています。
山田の観光情報、おすすめスポット、旬の話題など、
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2011年12月31日

ここより…

宮古市の重茂地区に、これより下に家を建てるなと書かれた石碑があると震災後、色々なところで取り上げられていましたが、山田にも同様に石碑があるのをご存じの方いらっしゃいましたでしょうか?
12月31日 002.JPG
この石碑があるのは、山田町船越。国道45号のすぐそば、旧道にこの石碑はひっそりとあります。
12月31日 003.JPG
石碑が作られたのは、昭和9年。まだ船越地区が、船越村と呼ばれていた頃です(あの昭和三陸大津波があった次の年です)
石碑に刻まれているのは…
一、大地震の後には津波が来る
一、地震があったら高い所へ集まれ
一、津波に追われたら何(?)ても、此所位の高い所へ
一、遠くへ逃げては津波に追(?)近くの高い所を用意して置け
一、縣指定の住宅適地より低い所へ家を建てるな
(ちょっと昔の漢字が表示できないのですが…)
と書かれています。
石碑の場所を考えれば、今回の震災時にこの場所より低い所にあった住宅の多くは被害を受けており、この石碑は次の地震があった時には…と教えてくれていたのでしょう。
昔の人たちに感謝。


posted by 山田町観光協会 at 15:50| Comment(4) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月02日

こんな先生もいたそうです。。。

さて、もうすぐ卒業式シーズンですね。
そんな時期に、昔、命をかけて生徒を助けた先生のお話です。
CIMG3401.JPG
こちら、山田町豊間根荒川地区に建つ石碑。
何の石碑かといいますと、昭和の頃、水泳の授業を行おうとした先生と子供達。
しかし、一人の生徒が川の深みにはまり溺れてしまいました。
小国テルコ先生はその時、その生徒を助ける為に川に入り、生徒は助かったのですが、テル子先生は力尽き溺死してしまうのでした。
その危険を顧みず、自分の生徒を助けたテル子先生の生涯を後世に伝える為、訓導顕彰碑が建てられました。
石碑にはその一連の事が書かれています。
CIMG3403.JPG
裏側には、昭和18年に建立した文字が記しています。
盛岡市の岩手公園にある教育記念像には小国テル子先生の訓導の鎮魂の碑文がはめ込めれているので、お立ち寄りの際はご覧になってみて下さい。

山田にある石碑は、山田町豊間根荒川小学校入り口に生徒を守る様に建っています。
posted by 山田町観光協会 at 17:52| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月23日

六角塔

三陸地域は、南部藩の時代、(まっ今も意外と大変たらーっ(汗)ですが)交通の便が悪く、一度洪水凶作台風が起これば交通は途絶えるので、糧道を失ってしまい、たちまち飢餓状態となり、多くの死者を出していました。
これを何とかしようと、牧庵鞭牛(ぼくあんべんぎゅう)和尚様は、100里におよぶ道を開削し、村と村を結び、沢山の人達を助けて下さいました。
ここ山田にも何箇所か牧庵鞭牛和尚様のゆかりの石碑等があります。
CIMG0046.JPG
こちらは、大沢地区にある「六角塔」です。
名前の通り石碑は六角形になっています。この石碑は和尚様が43歳から開削し、12年経ち閉伊街道開削の一区切り(53歳の時)を記念して建てられたもので、この地はかつて飢餓で苦しんだ人を供養した地でもありました。
現在も国道45号沿いローソン山田柳沢店の近くにあります
posted by 山田町観光協会 at 15:16| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする