今日は、打ち合わせが多く、写真ネタがないのです…ご勘弁下さい

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さて、日本初の洋式高炉による鉄鉱石の製錬に成功したのは、釜石市大橋が有名で、橋野三番高炉跡については、国指定の史跡にもなっている場所ですよね。
近代製鉄の先駆者である大島高任(おおしまたかとう)さんも、有名人。
でも、皆さんはこの大島高任さんにスポンサーがいたのを知っていましたでしょうか?
このスポンサーが、山田にいた貫洞瀬左衛門(かんどうせざえもん)という方なんです。
貫洞さんは、江戸時代後期、海産物商として財を築いていました。
貫洞さんは、出資と経営を依頼され、大槌の代官所へ大橋高炉の建設許可願いや、財産を惜しみもなく注ぎ込んだのですが、安定に操業した高炉を藩が徴収し、貫洞さんには、莫大な借金が…

残ったのでした。
ある日、ふらりと旅に出て、そのまま行方不明に…

以前、貫洞さんのお墓にも行ったことがあるのですが、行方不明なので、墓には何もありません。
なんだか、寂しいですよね〜

スポンサーって辛いですね。
posted by 山田町観光協会 at 18:05|
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