岩手県のリアス式で有名な三陸海岸のど真ん中「山田町」にある
山田町観光協会の公式ブログです。
ちなみに「かきくけこ」は「牡蠣食うけぇ来ぉ」からきています。
山田の観光情報、おすすめスポット、旬の話題など、
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2011年01月08日

道標

山田町の織笠に絵入道標があります。
これは、昔、文字が読めない人でもどこに向かっていくのかわかるようにしている珍しい標識です。
CIMG3007.JPG
もう大雪から1週間経つのですが、まだまだ雪解け…とはいかず、ちょっと埋もれております。
道標は左奥の石です猫
隣町は大槌町、船越なのですが、誰が見てもわかるように、大槌は小槌ひらめきの絵、船越は船人が船に乗っている絵が描かれています。
CIMG3008.JPG
段々薄くなりつつあるのか、皆様、わかりますか目
昔の人にとっては、分かりやすく、親切な標識ですね〜わーい(嬉しい顔)
posted by 山田町観光協会 at 15:33| Comment(1) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月08日

御所?

御所といえば、天皇や皇族の方々の住む居所というイメージがありますよね目
山田にも御所と呼ばれた城舘が2か所あります。

CIMG2690.JPG
こちらは船越御所です。現在では、昔の姿を垣間見ることはできませんが、小丘陵を利用して築かれた城舘です。南北朝時代、多賀城(宮城県多賀城市)を追われ北に逃れてきた南朝方の将、北畠氏が逗留したと言われています。(誰ですか~それは…がく〜(落胆した顔)
この方、後醍醐天皇から東北地方の経営の命を受けた人物だそう。しかし足利尊氏の勢力が強まり、多賀城から霊山城(福島)へ移り、この地に落ちのびてきたそうです。
CIMG2691.JPG
山に登ってみると、何やら建物が…
CIMG2692.JPG
ここ最近新しく建てられたものの様ですが、何が納められているかは、私にはわからないのですが…ふらふら

この船越御所は、中世を駆け抜け山田で活躍した人々の足跡を現在に伝える貴重な歴史資料ですわーい(嬉しい顔)。立て看板に詳しく説明が書いてありますので、立ち寄ってみて下さいねっ
場所は、国道45号線、船越田の浜方面に行く途中にあります車(RV)
posted by 山田町観光協会 at 17:10| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月27日

山田の有名人!!2

今日は、打ち合わせが多く、写真ネタがないのです…ご勘弁下さいバッド(下向き矢印)
さて、日本初の洋式高炉による鉄鉱石の製錬に成功したのは、釜石市大橋が有名で、橋野三番高炉跡については、国指定の史跡にもなっている場所ですよね。
近代製鉄の先駆者である大島高任(おおしまたかとう)さんも、有名人。
でも、皆さんはこの大島高任さんにスポンサーがいたのを知っていましたでしょうか?
このスポンサーが、山田にいた貫洞瀬左衛門(かんどうせざえもん)という方なんです。
貫洞さんは、江戸時代後期、海産物商として財を築いていました。
貫洞さんは、出資と経営を依頼され、大槌の代官所へ大橋高炉の建設許可願いや、財産を惜しみもなく注ぎ込んだのですが、安定に操業した高炉を藩が徴収し、貫洞さんには、莫大な借金が…がく〜(落胆した顔)残ったのでした。
ある日、ふらりと旅に出て、そのまま行方不明に…モバQ
以前、貫洞さんのお墓にも行ったことがあるのですが、行方不明なので、墓には何もありません。
なんだか、寂しいですよね〜たらーっ(汗)
スポンサーって辛いですね。
posted by 山田町観光協会 at 18:05| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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